昭和44年7月31日 朝の御理解

第29節 桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。桜の花は早う散る。梅の花は苦労し     ておるから長う散らぬ。


 どういう風に見ましても、やはり合楽の信心は桜の花の信心と思います。何か桜の花の信心はいけないぞと、決めつけてあるのではない。ですから、あの、桜の花の信心という事、例えば、桜の花が咲き、乱れておるほどしの華やかなおかげという物は、やはり皆頂きたいのですから。それで私、思うて見ますのに。非常にこのごひれいを、一代で輝かされたといったような教会は、だからまず花の、この桜の花のような信心。桜のような、花のおかげを受けられたんだという風に思うですね。

 合楽だけじゃないという事、ね。「まだと一番?」近い例を取りますと、私共の親教会がのまた親教会である、久留米なんかの場合を思うてみますと、本当にあの、やはり桜の花のような、御性格ではなかっただろうかと思うんです。その現れておるおかげが華やかだったです。これは私共も知っておる限り。

 私は久留米に奉公しております頃の、久留米の状態という物は、それは大変なものでした。あれは、もうあれが最後の、初めての最後であったと思いますけれども、久留米から千人参りが御本部にあったというほどしに、大変な事でした。ね、一つの教会から千人の。大阪辺りからは千人参りが、月参りがあっておるぐらいですけども。まあ、これだけ遠隔の地におってです、九州から、一教会から千人も参ったっちゅうのは、もうおそらく他になかろうと思われるくらいですね。

 私共その千人参りの時に、私共、久留米から参加させてもらったんですけどね、それは実に華やかなものでした。あちらで、御本部のあれは何十年の記念祭かでしたが。時なんかは、久留米からあの、お鏡のお供えをなさる。御餅をみんなに配られたりする御餅を付かれるので、久留米からもう、それこそ三味線、太鼓で曲付きの持ちつきが御本部であったというほどしに、考えてみますとね。はあ、三味線、太鼓で、しかも御本部で。まあ、やっぱ華やかであったと。

 それも、例えばあちらの御大際と言うとですね。もうそれこそ当時は、久留米では「しんけんこんけん」と言うて、大きな芸子さんの町がありました。しんけん、こんけんの、もう芸子さんと言やあ、もう一流の芸子さんばかりを揃えた、お客さんがずらり並んでおりましてね。久留米の大祭の日に芸子呼ぼうって言ったって、芸子がおらんというくらいに華やかだったんですよ。御大祭に皆参るんです。

 ほれはもう、御直会なんかという時には、ですからもう、その、それこそ柳桜をこき混ぜたというような、そのきれいどころが皆、御直会のお相伴に出て来るんです、というほどに華やかだったです。ね、金光様はああして、久留米の石橋先生は、ね。出すぎもせず、引っ込みすぎもせず、真の人と言うのはこの石橋さんのような方であろうと言わしめられたほどしの、御立派な御人格だったんです。けれども性根の、その底には、やはり桜の花的な物をお持ちになっておったんだなとしか思えられません、おかげの現れ方が。

 もう甘木辺りとは全然違う。例えば御大祭のお供え物なんかでも、それはもう実に煌びやかなものでした。もうその、言うなら世の中に高級な物があるなら、あるとあらゆる物を買い集めてでした、久留米の場合は。甘木の場合は、集まった物、だから、実にお粗末です。ところが、今度ここ辺りの場合は、勿論買い集めないでも、それこそ煌びやかな事ですよね。ですから、もっといわば本当に、そういうおかげを、おかげと、桜の花のおかげをと言うなら、もっとおかげを受けておると思います。

 ね、ですから、ここで。今日私は、桜の花のような信心は、桜の花のような信心と言うのは、もう合楽だけ、もう本当に自分の信心、桜の花のような信心だという風に思うておったけど、今日考えて見ますとです、ね。これはやっぱり久留米もそうであったろう、福岡もそうであったろうと、私はその思わせて頂くのです。ね、実に華やかなおかげを頂いておられます。

 ところがです、その桜の花のような華やかな信心がどんなに贔屓目に見ましてもです、現在その信心がです、やはり桜の花が咲き続けておるといったような風には全然思われませんですね。もう、それは何と言ったって何十という出社を持った教会ですし、大きな教会ですから。しかもあれが、やっぱり「維持型?」出けておるのですから、まあ相当ですけども、いわゆる親先生のお出でられた時の久留米の教会とはもう、似ても似つかぬほどに、言うならばごひれいは、まあ言うなら地に落ちておるような感じであります、ね。

 一例を例えば言うても、ね、あちらの「幸男?」先生が50ぐらいになられますでしょうか。私よりか、「五つ、六つ?」少なかったと思いますから。もう言うなら人間としては一番、まあ言うなら、まあ金光様の先生としては良いお年頃で終わりになりながらです、教会長をお出来にならんなんて、善導寺の教会、善導寺の教会長先生、いわゆる荒巻先生が教会長ですからね。それを思うただけでも、ちょっとおかしいでしょう。

 ね、決してその、馬鹿とかチョイとかというのじゃないですよ。昔の明善校を出ておられるくらいですから、立派な私は、と思うんですけれどもです。それが教会長をお出来になられないと言うのですから、私何かがどうかおかしいと、こう思うんですよやっぱね。ですから、やはり桜の花のような信心、桜の花のようなおかげを受けられて、桜の花が今散っておる姿ではなかろうかという風に思うです。

 ね、いわゆる久留米の信心であり、久留米の初代に四神金光様が、なあ石橋さん、信心辛抱さえをしとりゃ、整わん事はないと教えられた。その事が先生の心の中にいつも。だからどうして、その石橋先生のような素晴らしい方に四神様が信心辛抱を教えられただろうかと、不思議に思わんではなかったんです。ところがやはりですね、いわゆるここにもございますように、梅の花の信心は苦労しておるからと言うのは、梅の花が辛抱し抜いておるからて。

 寒中でもジーっと辛抱し抜いて、そしてその他の花に先駆けて、まだ正月だ、まだ2月だと言うのに、福良に「して?」、花をつけて行こうという花なんです。そういう中に辛抱しておるから、長う持てるというおかげ。だから石橋先生の信心にも、やはり、ならそれこそ、あれも全ての物が足ろうた御人格とでも申しましょうか。

 ね、そういう素晴らしい御人格の石橋先生にでもです、なら一番かげておると言うならば、信心辛抱、辛抱という事ではおありにならなかっただろうか。だから四神様がその事を指摘して言うておられるのではなかろうか。だから、石橋先生自身はです、その、その事を自分に嗅げておる信心辛抱という物を本気で守られた所に、あのようなごひれいを頂かれたんだと、私は思うですね。

 なら久留米の場合でもそうですよ。四神様が福岡の初代に、ね。福岡という所はなかなか、言うなら、「書生気質?」とでも申しましょうか。言うなら大きな大学やらもあってです、ね。いわゆる、書生さん方が多いと、学生、この学生が多いって。それに、その私のような無学の者が福岡に参りましてもと言われた時にです、四神様が仰っておられる事は、馬鹿と阿呆で道を開けと仰った。

 そこでですね、やはり、私はこれは想像ですよ。ね、吉木先生という方は非常に、やはり賢いお方であったであろうと思うのです。その証拠にはですね、例えて言うなら、いわゆる自分の御師匠であるところの、桂先生の所で一年間しか修行してないですから。甘木なんかは7年もなさったというのにですね。その代わり、一番に出、いわば出てありますから一の弟子です、ね。やはりあの、思い方が賢かった。

 人間的な考え方が、「         」、やっぱ賢いお方であったであろう。その証拠にはです、福岡のあの、次々の方達が皆立派に賢いでしょうが、善導寺の奥様がそうでしょうが。もうこのくらい賢い方はないですよ。今の福岡の奥様なんかそうでしょうが。いわば馬鹿と阿呆には、なりにくい性格を持っておられた、だから。それを、なら初代はです、そういう賢い物を持っておりながら、四神様が馬鹿と阿呆でと仰ったから、その馬鹿と阿呆でを信心の、自分の性根の中に頂こうという事に努め抜かれたところにです、ね、やはり小倉の第一の出社としてのひれいを、やはり受けられた。これはまあ、とのではなかろうかと思うのです、私が。

 だから、福岡に一番嗅げておるのは、だから、ああいう賢いお方達ばかりですから、馬鹿と阿呆になる事に一生懸命精進される事が、本当なこっちゃないだろうか。久留米なら久留米でもです。本当に久留米では信心辛抱という事を、もう命のように大事にして、家に嗅げておる物は辛抱だ、家に嗅げておる物は辛抱だと思い続けてです、ね。私は思い、それを、こんで、思い込んでその事を身に付けて行くというようなところにです、桜の花のような信心と同時に、そこに梅の花のような信心があるから揺るぎのないおかげになって来るのだという風に、まあ私が今日はそういう風にこの、今日は29節を頂きましてそう思うんです、ね。

 なら現在の久留米の状態ていうものが、決してなら、私先ほどごひれい地に落ちた、落ちておるというような事を申しましたけれども、「危機地?」に落ちとる訳じゃない。現在でもああして、やっぱり隆々として荒巻先生を教会長として行っておりますけれどもです。それは例えて言うならば、あの当時の朝の御祈念と言うたらですね。もう私共がずっと、もうとにかく、もう後ろの方にしか私共は座られんぐらいに、いっぱいだったんです、ね。

 ですから、現在の、なら久留米の状態から言うなら、その時分から言やあ、やはり地に落ちたというような言い方をしても、ばさらか、その違ってはいないと思うんです、ね。そこでまたこれから、またその桜の花がです、また次の春が来れば咲いて誇るようなおかげにもなって来ると思います。

 だから、その時こそです、私は久留米関係の人達は、本気で久留米関係に欠けておるものは信心辛抱だという風にですね。その事に本気で取り組まれなければ、いけんのではなかろうかという風に、私は、まあ思います。私共もやっぱ流れを「組んでおるんですから?」、これは桜の花は、私だけじゃないばいのと、今日はつくづく思うのです。

 先日も、久留米の佐田さんがお知らせを頂いておられるのに、日田に悲願、亀山公園て言うのがありましょう、亀の山の公園と書いてある。あそこへですね、ちょうど一丈ほど、人間の丈くらいの桜の並木がずうっとあってですね、もうそれが今を盛りに、咲いておる。いわゆる満開の状態を頂かれたと言うのです。

 これも確か、5~6日前だったですね。私は思いました。はあ、今の合楽のここ十日ばっかりの状態じゃなかろうかと。もう毎日、毎日が手にあわんやですよね。様々な行事があっておる、その上にあの、少年少女会の実習なんかがあったりして、もう本当に裏も表も、まあ言うなら手にあわんやの賑やかさというか、やっぱり神様のごひれいですよね。
 こういような状態がです、ね。例えば、なら朝の御祈念にもこうしてお広前にいっぱい。昼の御祈念にも、またお広前がいっぱいと言うんですから、これはやっぱり、その桜の花が今、今こそ咲きほこっておるとこであろうと思うです。ね。御神前を眺めて見ると、本当に、とても普通では大祭でも揃うまいといったようなお供えが、いつもこう、それこそお三宝が、言うなら「ひょうる?」ごと、いっぱいお供えがあっとる。

 どんなに考えても、今は合楽のいわば、私の桜の花的な信心の、その桜の花が咲いておる時だろうと、こう思うのです。そこで、これは私に頂いておる、これは信心を汚しちゃならん。信心を汚す、心配を指す、ね、というその、みすを奉れという、これはいわば、私先ほどから申しますように、久留米には信心辛抱が欠けておるから、信心辛抱しなければいけん。福岡には馬鹿と阿呆という物が欠けておるから、本気で馬鹿と阿呆にならなければならないと言うようにね。

 合楽はどうでも、自分の信心が果たして信心を汚しとるような事はなかろうか。または、本当に神様に御心配をかけておるような事はなかろうか。ね、その為に自分の心を汚しておるような事はなかろうかと言うような事を、一つ本気で思わないとおかしくなるんじゃないかと思いますね。いつも、みすを奉らせて頂いておるというような信心がですね、出来なきゃならんという事です。

 昨日、田主丸の山口さんという方が、親子6人連れで、縁に付いております娘さんが、ちょうど歩きに来ておりました。それで、その方達が親子4人と、山口さん達が親子2人でお礼に出て参りました。皆さんも御承知でしょうが、辰子さんと言うて非常に熱心な信心を娘時代にしておりました。そして、縁あって今、伊万里に行き、縁につきましてから、今は福岡で仕事の関係で、福岡におるそうです。ちょうど、この前ここで、平田しげきちさんを中心にして、幹部の信心実習があっておりました、共励殿で。

 その時に、その二度目の子供が生まれたからと言うので、夫婦でお名前を頂きに来たそうです。けれども私があちらへおりましたから、そのあちらへ、こうしてお名前を頂きに来ちゃりますからて。ちょうど話半ばでしたから、私は紙切れに。あちらで頂いてから書いてやりました。これは、今日はちょうどこの、平田しげきちさんの言うなら信心を、まあ中心にして、信心研修があっておるから、これはしげきちさんの重という字をもろうたら、いいだろうと私思いましてね。

 それでその、娘の子ですから、重子という風に鉛筆で「柱?」に書いてやりましたから、きっとその重子というお名前を頂いて、まあ帰った訳です。そのお礼に昨日は来てる訳なんです。それで、その時言われなかったから、私が、まあ子供もそういう意味で初参りでしたから、御神前に出まして御祈念をさせてもろうて。お礼を申させて頂きよりましたら、私は以前いつか、昔ですけれどもあの、楠木政重のですね、この肖像を演じた直垂姿の、楠木政重の肖像の軸を見たことがあるんです、どこでか。それを昨日、ありありと頂くんです、御神前で。

 ははあ。これがこの、茂子さんという子供の御理解だなと思って、まあこちらへ下がらせて頂いてから、その事をお伝えさせて頂きました。私はその、名字も実はあの、その、読みよった「さっき?」の名字を忘れとりましたら、昨日見せてあの、お届けさせてもらったら、前田って言うんです。やっぱりこの田ですね、田賀茂と。だから、やっぱ平田しげきちさんでもそうでしょうが。田賀茂。だから、あげん、まあだからあげん茂なさったちゅう訳でもないでしょうけれどもです、やはりそういう信心があったから、ああいう大変なおかげを受けておられる訳ですけれどもです、ね。

 結局、私は思うのにね、いわば平田しげきちさんの信心に肖らせてもろうて、平田しげきちさんの頂いておられるような大きなおかげを頂かなきゃならん、ね。それで、それでただ肖りというだけじゃいかん、やっぱ信心に肖らなければ。そこで私が頂いたその、楠木政重というのをです。まあ言うなら、まあ分解して御理解に頂くならね。ここでも何時も頂きますように。ね、楠木太りのおかげを頂けと、こう言う。

 何時でしたか、堤清さんが、何かそういう、お夢か何かでお知らせを頂いて。自分もどうでもそういう楠木太りのおかげを頂きたいと言うて、まあ客殿の裏に、こんな大きな楠木が植えてあるでしょう。あれは、堤清さんの「けんぼく」になる物です。けんぼくしたからと言うて、楠木のようなおかげを頂くのじゃないですよ、ね。いわゆる楠木太りになるような信心をせよという事なんです。

 ね、まあ今日はついでながら申しましょう。私は清さんにも言えませんでした。もちろん、お父さんのしめきちさんにも申し上げ、かたや、息子さんは松栄会の会長、お父さんはここの総代。ところが、昨日はお母さんと一緒に参ってきて、お母さんがお届けをするから、私がお母さんに申しました。ね、どげん思うても、あんたげん息子やらお父さんには言えんち言って。

 だから、信心の程度の低い、まあ低いち言うとおかしいけど。あんたん所では、低い貴女に私が今日は言うて聞かせるから、帰ったなら親父と息子と皆一緒に話しなさいち私が言うた。信心の共励をしなさいち。孫の智樹さんが扁桃腺で具合が悪か。ね、お願いをして、養生をするけど良くならん。そこで、お父さんのしめきちさんからお届けがありました。けれども、私はその時には本当にしめきちさんの、その素直さという物を買いましたですけどね。

 あの、先生本当に信心しよって相すいませんけれども、どっか柳川方面に扁桃腺のおまじないをしなさる所があるそうですと。だから、今日はあの、お婆ちゃんが連れて行くち言いよりますから、どうぞお願いして下さいと、こういう事ですから、ね。あんた、馬鹿じゃなかのち。まあ、普通なら言うとこですけども、その、そういうような事は誰でんこっそりとしよる者が沢山あるとですよ。えー、どこどこの何々様にお尋ねに行ったとか、そげんとは、ずいぶんあるとです。

 けど、そげんとは、ここ御結界に持って来る勇気を持たん。そういう意味合いで、総代でもある、しめきちさんがその事を、例えばあの、お届けされたというその素直さに私はですね、同時にそこからまた分からせてもらう事もあろうと思うて、そんなら、まあお出でられるようにお繰り合わせをお願い致しましょうと言うて、お願いをしたんです。ね、それからその日、さっそく行った。その後、良くなったとも良くならんとも付かんけれどもです、ね。明くる日、貴方、ばあちゃんがちゃんと風邪引きましたけんでというお届けがあった。

 神様がね、教えよんなさるなと私は思うた。ところが、そのばあちゃんの風邪が何時までたっても良くならんのですよ。それけん、お婆ちゃんのその事を、なら「つみ?」さんずっとお届けがあるんです。今日でも私は言いませんでした、分からにゃいかんから。そしたら昨日そのもう、二十日も、二十五日もなりましょうか、昨日お届けをして。結局その扁桃腺が、まあだ良くないと、こう言う。

 だから、やっぱり今度は孫を連れて、今度はこの、医者に行ってこれを手術でもさせて頂こうかというお届けが、昨日お婆ちゃんからありましたから、私が話しました。ね。貴方はもうそれこそ助からん、お父さんがとにかくそれこそ、もうあなた、冬の雪の日にでもです、水氷とって「お稲荷様?」にお参り、医者じゃもう難しかち言うので、そういう修行までして、お稲荷さんにお参りをされたりして、それでも駄目であったのを、あんたは助けて頂いとるほどしの体験を持っとるじゃないかち。

 ね、それが、さあ息子のなら、扁桃腺ぐらいな事でです、さあ呪いに迷うとか、さあお医者さん。決して私はお医者さんに行っちゃならん、その呪いにですら、私はお取次ぎさせて頂いたから、まあそれで良くなるならばと私は思うけれどもです。なら、私がその二十何日ぶりに聞いてみてから、その間に良くなっていないというならばです、もうここに、ぼちぼち考えて見なければいけんのじゃないかと。

 かえって先生がこう言うたと言うて、お父さんと、もう清さんもここ一緒でしたから、清さんと三人でね、あの、一つ話し合いをしてみてごらんと、私は昨日申しました。ね、だからそういう信心も出けずして、楠木太りのおかげを頂こうって言ったって絶対駄目です。ね、例えばなら、平田さんあたりの信心を聞きなさい。もう一にも二にも三にも、神様、神様、神様です。それを呪い、さあ医者、さあ薬だと言うような信心程度で、おかげの頂けるはずはありませんて。

 ね、願う「からには?」願う事に対してのおかげを頂こうにもです。その時の、例えば堤さんのお知らせは、確かにそういうお知らせだったんです。そして、その楠木太りのおかげを頂けという事じゃったから、さっそくあそこへ、植木屋さんに頼んで、あんな大きな立派な植木の、ね、あれがしこって行くように、堤商店がしこって行くという事じゃないて。そういう楠木太りの信心をしなければ。なら、楠木太りのおかげを頂く為の信心とはどういう事かと。いわゆる、楠木政重です。ね、正しく茂るんです、ね。

 正しい信心からしか楠木太りのおかげは受けられないという事です。ね、ちょっと横道に反れたようですけども、そこの所も大事ですからやっぱり聞いて頂かにゃいかん。桜の花の咲くような、本当にそれこそ楠木太りのおかげを頂かせてもらうということにはね、もう一番始めからです、根本から、ね、正しい信心が身に付いて行かなければ本当のしこった事ない。

 例えばですよ、まあインチキち言うとおかしいですけども、インチキ半分で儲け出たとは絶対もう、長続きはしませんよ。ね。本当に先日からの御理解のように、ね、踏み広げて通るのが繁盛じゃと仰るように、正しい信心の道を歩かせてもろうて、言うならばです、平田さんの事で言うならば、平田さんがどれだけ神様中心で行かれたか。教えを元にしての生活を修行されたか。

 いわゆる、正しい所から、今とにかく、十か二十ぐらいな、やっぱ会社を持っておられるでしょう。ね。それでも、自分がその会社、「回りなさるような事ない?」。やっぱ神様の御用に一生懸命、そのお使い回しを頂いておられるほどしに、まあおかげを受けておられる訳ですけれども。ね、そういうおかげの元というのは、楠木太りのおかげを受けられるほどしの信心を受けておられるという事なんです。ね。

 まあそこで、まあ桜の花の信心ですけれどもね。私共の信心の在り方がです、ね。その事の為に心を汚すような信心をしておらんか。自分の生き方、在り方がです、ね、親に心配を掛けるような在り方を、になってはおらんか。ね、この自分の生き方がです、お道の汚すような事にでもなっておるような事はないかと言うようにです。いわゆる、合楽に一番欠けておる物。いわゆる、みすを奉らせて頂こうと言うおかげを頂かにゃいかんです。ね。

 私が沢山な借金を持っておりましたが、その借金が終わりましたのは、ちょうど椛目で人が助かるようになって一年ぶりでした。その時に、思いもかけない人が、あの椛目に今かかっておるみすのお供えを致しました。ね、はあ、あの人は信心のしよっとばってん借金負い被ってと、まあ実際に言われて来ました。けれども、その事だけは、みすと奉った訳ですよね、私。

 ですから私共は、なら実際に、まあ求めておるもの。また、私共の性根の中には桜の花的な物が濃厚ですから、ね。そこで、まあ私が何時も申しますように、いわゆる「きざんてい」の桜であります。ね、佐田さんが頂いておられるという、きざんていと言うのはです、ね。亀の山と書いてある。亀と言うのは、まあ私を表現して下さっといて下さるのです。ね、そこには山が必ず、必ずついてるちいう事。修行です、山という事は。ね、それでいて、桜が今も、「  」咲き、「ほこう?」ほどしのおかげを受けておるのだと。

 ただ時期が来たから、桜の花が咲いたて。はあ、ある人が言うた。大坪さん、貴方もふが良かったですねち言うてから、久留米地区のある先生が私に言わっしゃった。どこんとこが、ふが良かったっですかち聞こうごたったばってん、はあおかげを頂いてという風に申しましたけれども。これがふの良うして出けたっでしょうか、ふの良かぐらいで。だから、大坪さんが当てたぐらいにしか言うちゃ、思うちゃないです。

 ね、それにはね、やはり桜の花の咲くようなおかげを頂く為のその内容にはです、ね、やはり何時も〔きざん?〕という信心が出けておる。まあ言うならば私で、ね、そこんところを、ね。梅のかおりを桜に持たせ、しだれ柳に咲かせたいという、その合楽のおかげの、まあ目指しとでも申しましょうか。

 桜の花のおかげを頂く、その内容としてはです。柳のような素直さを徹底頂いて行こう。梅のかおりで、いわゆる本気で、本当に辛抱という事には嗅げておる私共ですけども、そこを歯を食い縛ってでも一つ、金光様におすがりしてです、辛抱し抜かせて頂こうと。そういう内容があって、この桜の花のおかげが受けられておるんだと、まあ私は思うておりますがです。

 ね、ならそういう信心が私の、やはり子供達にも孫達にも、皆さんにも伝わって行かないと、それこそ桜の花の信心、桜の花だけの信心だけであったらです。もう本当に、もう惨めに散ってしますでしょう。ね。それこそ散り際がええって言われとるですから、それこそもう、あっという、言う間に散ってしまうでしょう。

 私はこの広前が出来た時に、忽然としてここのお広前が出けたというような言葉使ったが、それこそ忽然として無くなってしまうでしょう。ね、私共にその性根が、の信心がないならば、ね。それでその、いわば前田さんに私がお名前を頂いて、まあ頂いた時の御理解をです、その楠木政重という事で頂いた。ですね、平田さんに肖ってこの修行を頂いたが、為にはね、政重である。正しく茂という意味。

 ね、正しい商売、正しい生活。それはどういう事かと言うと、信心がないと自分の正しいと思い込んで正しくない事があるから、ね、信心の教えを頂いての生活、信心の教えを頂いての商売、仕事という事になって来る事を持って、私は政重という事になる。そこに、楠木政重というおかげが受けられるのだと。ね。

 そういう、私はこう桜の花の信心にはですね、そういう内容をぜひ頂いとかなければいけないという事でございます。ね、政、正しく茂という内容と。ね、同じに、桜の花の信心に何時も梅の信心が伴うておる、柳の信心が付いておると。ね、そこに私は桜の花の、いわば咲きっぱなしというようなおかげにですね、なって行く事を私は確信致しております。

 ですから、私が確信しておるように、なら皆さんもそれを確信しとかにゃいかん。ね、私の子供達もそれを確信しておらなきゃいけん。それを、孫にも子にも伝えて行かなければならない。ね、親先生の時にはああじゃったばってん、それこそ、ごひれいが地に落ちたというようなことではですよね、神様に対しても、いよいよ相済まん事になりますのですから。

 ね、ここんところを良く一つ、お互い心掛けさせて頂いて、おかげを頂く。今日のこの29節と、から、ね。今日は、これは桜の花の信心と言うのは、これは私だけじゃなか。私の手続きをこう辿ってみて、ごひれいの本当に、桜の花の咲くようなごひれいを受けられた教会の、まあ相済まん事ですけれども、久留米や福岡の例を取ってから、聞いて頂いた訳です。

 ね、そして現在の例えば久留米と言うのは、言うなら今でもその、大変失礼な言葉で地に落ちたというような言葉使ったですけれどもです。親先生の時代から言うなら、地に落ちたと私は思うんです、ね。久留米の教会で、久留米の〔くしわら〕の教会はどこじゃろうかち、そうに尋ねたばってん、誰ん知らじゃったち言うた。どうでしょうかね、これが何十年前の久留米の初代の時分であったら、それこそ誰がどこで聞いても、はあくしわら金光様ですかと言うて教えたに違いないです。ね。

 ほれはですね、もうあの、大阪辺りに行って、あの玉水の教会なんかを聞いてごらんなさい。もうどげな運転手じゃろうが、どげな、その駅員の人であろうがです、ああ玉水さんですかち言うてから、もう知っておりますよ。それは、ごひれいが、それこそ輝き続けておるから、皆がそれだけ認識を、信心のない者でもしとる訳です。

 それに、なら久留米市の中心ですたいね、中心の教会、私共の親教会。それを、何、誰にでも尋ねたばってん、さあ、どこに金光様ちゃあるじゃろう、その知らんですよちいうごたる風で、何人も聞いたけど知らじゃったという人の事を聞いてですたい。私はそれをまた本当に感じたんです。

 ね、この頃もある教会で結婚式があったんですよ。それで、熊本からわざわざ来ちゃるとです、自動車で。ほれからあの、聞かっしゃったそうです、金光様。したら、さあ知らんばってん、とにかくあの金光様があるっちゃ、合楽のあそこ、いつもこう旗の立っとるけんあそこじゃないですかち、ここに来ちょる。バスで、その結婚式、間違えて来ちゃる。

 ね、そういう意味で、ここはまあ、通りだけであるばってん、皆がやっぱ段々認識を〔〕来た事は、やはりごひれいだと私は思うです。ほれで、ここからまあ詳しく教えてあげたそうですから、まあ行ったそうですけれどもね、ええ。本当に金光様の信者であるという事もです、教会であるという事も、みんなが認識できる。

 何処に行きよりなさる、はい、ちょいとそこまでぐらいな事で、誰も認識はしません。堂々と、金光様にお参りしよりますと言うておかしくない信心ですから、言えれるおかげを頂かにゃいかん。ね、そのおかげを頂かんから、ちょっとそこまでというような事になって来るから、神様のごひれいを現す事すらが出来んのですよね。

 本当一つ、まあ華やかなおかげを頂かせてもらう。それは誰もの願いであろうと私は思う。ですから、その華やかなおかげの、その内容として。ね、今日私が申しましたような所に力を入れなきゃならんと思うのですよね、どうぞ。


                      末永信太郎 5月20日